会報「檜」バックナンバー
平成17年 如月 第2号
名曲と私 ―父の思い出― | 梅花祭 | 節分祭 | お知らせ
神の結びから人の結びへ・結びの体系 | お知らせと御礼
名曲と私 ―父の思い出― 遠藤歌子

私の父はクラシック音楽を愛していた。物心ついた頃から、家の中には常に音楽が流れていた。オペラから交響曲、室内楽曲、独奏曲に歌曲等ジャンルを問わず、時代はバロックから近代あたりまでが多かった。モーツァルトの「魔笛」や「フィガロの結婚」、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」、シューベルトの三大歌曲やショパンのマズルカ等は特に好きで、録音の異なるLPを何枚も集めては聞き較べていた。確か「美しき水車小屋の娘」だったと思うのだが、誰の演奏だか、「このピアニストは、この曲を歌の伴奏つきのピアノ曲だと思っている」と笑っていた。

育った環境の与える影響は大したもの。ダイキンでは毎夏、地域社会への貢献の一環として工場で大盆踊り大会を開くのだが、新入社員として盆踊りの練習に参加した時のこと。炭鉱節はマスターしたものの、河内音頭と江州音頭では先生方や先輩の動きに全くついていけない。ワルツ等、西洋の動きでは必ず(と言っていいかと思いますが)体重移動があるのに、こちらは出した足でポンと地面を蹴り、それをそのまま横に移動してから体重をかけたりする。西洋音楽のリズム・テンポと日本古来の音楽のそれとは、やはり違うものなのだと身をもって痛感した。

学生の頃には、私も歌謡曲やポップスを聞いていた時期もあった。しかし、悲しい時やどうしようもなく落ち込んだ時に、本当に心を癒し、慰めてくれるのは、例えばモーツァルトのクラリネット五重奏曲やオーボエ四重奏曲等の室内楽の名曲だった。ジャズのベニー・グッドマン独奏によるモーツァルトのクラリネット協奏曲とクラリネット五重奏曲の入ったLPには、特にお世話になったのを覚えている。

一九九五年から九七年まで、交換研修生としてアメリカの3M社で働く機会を得、ミネソタ州セントポールに住いした。この九五年というのは、現在大阪フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務めておられる大植英次氏が、ミネソタ管弦楽団の音楽監督に就任された年である。善意の人達に温かく迎えてもらったとはいえ、初めての土地に一人で暮らし、働くのは何かと心細くもあった。その中でマエストロ大植がこの地で頑張っておられるというのは随分励みになった。

喘息持ちのくせに、最後まで煙草が離せない父だった。部屋に篭って隠れて煙草を吸いながら、弾けもしないのに楽譜と首っ引きで、晩年はよくベートーヴェンの後期ピアノソナタを聞いていた。命取りになると分かっていながら煙草を手離せない姿を、反抗期真最中だった私はあさましいとしか思えなかった。今となっては、喫煙が見つかった時の申し訳なさそうな、はにかんだ顔が懐かしく思い出され、思わず涙ぐんでしまうのを抑えることができない。今思えば、ばかがつくほど正直な、心優しい父だった。私には何も見えていなかった。

父の死から二十五年近くが経ち、のん気で無邪気で世間知らずだった私も、それなりに苦労も挫折も味わった。父の優しさや無念に思いを馳せることもできるようになったし、人にも多少は優しくなれたような気がする。(どこが!?と笑われるかもしれませんが・・・)

昨年末、バリトンのマティアス・ゲルネがシューベルトの三大歌曲を演奏するというので、「水車小屋」は惜しくも逃したが、「冬の旅」と「白鳥の歌」を聞きに行った。慣れ親しんだメロディーを久しぶりに耳にして、あぁ、こういう世界があったんだ・・・と忘れ物に気付かされた思いがした。

壊れたままになっているLPプレーヤーを、今年こそは直すか買い替えるかして、父の残してくれた貴重なコレクションを改めて味わい直したいと思っている。

(財) 日本室内楽振興財団機関誌 「奏」 Vol. 21 (平成十六年五月十日号)

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梅花祭

梅を愛した道真公をしのび、北野天満宮には50種類約2000本の梅の木があります。とりわけ梅苑の梅は見事で、2月初旬から3月初旬まで有料公開されます。

期間中の最も美しい開花期であり、ご縁にちでもある25日には梅花祭を開催。神事の後絵馬所において野点が行われ、上七軒の舞妓さんや芸妓さんがお茶をを点てる姿が、ふくいくと咲き誇って甘い香りを漂わせる梅花と艶を競います。また、当日は厄年の人に厄除玄米も授与されます。

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節分祭

節分とは年の節目。特に立春前日は、一年のけがれを祓って新年に備える大切な日です。

陰陽道ゆかりの清明神社では人形(ひとがた)の紙に息をかけ、神前に納めて厄祓いします。白峯神宮で鬼遣らいの豆まきを催行。北野天満宮では追灘儺式のあと、茂山千五郎社中の狂言や上七軒歌舞会の踊りと豆まきがあります。千本釈迦堂ではおかめ装束で福徳円満の祈願が行われ、千本えんま堂では閻魔様の舌にみたてたこんにゃくをいただく厄除けこんにゃく炊きがあります。

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お知らせ
2月20日 青蓮院 煎茶会  宝山流
3月01日 宝鏡寺門跡 花扇太夫の舞と一弦琴
4月29日 宝滋院門跡  少数弦の会  琵琶と一弦琴
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神の結びから人の結びへ・結びの体系

神の結びから人の結びへ

縄文式土器をご存知でしょう。器の表面に縄や結びの文様を付けた縄文人の土器です。縄文人はなぜ土器の表面にそのような紋様を付けたのでしょう。彼らは「結び」に神聖な呪力が宿ると信じ、その力を借りて延命や豊作を祈ったのでしょう。そして時代をへるにつれて、結びのもつ霊的な側面が薄れてきました。次第に作業的な働きの結びが強調され、各時代の生活様式に沿って発達し、今日にいたっています。

結びの体系

結びを用途別に分類してみると、作業(用)、装飾(美)、知的(知)に大きく分けられます。「用」の面では、狩猟、漁撈、農耕などの作業の結縛に用いられて今日にいたっています。「美」の面では、神仏の荘厳具や礼法の中で育まれ、「飾り結び」があみだされ、今では服飾にも用いられています。「知」の面では、約束ごとや記憶に始まり、計数的(数量を表す)、計測的(時間や距離を計る)、表意的(手紙を書く)な結びまでありました。しかし、こうした表示方式では限界があり、その後の発展は望めませんでした。永い歴史の中で、結びは、結髪、結帯、釣糸、水引、捕縄などにも独特の発展を遂げてきました。

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お知らせと御礼

スリランカ国と日本との親善文化交流は皆様の暖かいご支援で準備万端整い参加の方々も楽しみに稽古に励んでおりましたが、思いがけない大災害が起こり、檜の会としましては外務省の指示に従い断念せざるを得なくなりました。
会員の皆様には、ご協賛戴きましたことを心より御礼申します。

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