私の父はクラシック音楽を愛していた。物心ついた頃から、家の中には常に音楽が流れていた。オペラから交響曲、室内楽曲、独奏曲に歌曲等ジャンルを問わず、時代はバロックから近代あたりまでが多かった。モーツァルトの「魔笛」や「フィガロの結婚」、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」、シューベルトの三大歌曲やショパンのマズルカ等は特に好きで、録音の異なるLPを何枚も集めては聞き較べていた。確か「美しき水車小屋の娘」だったと思うのだが、誰の演奏だか、「このピアニストは、この曲を歌の伴奏つきのピアノ曲だと思っている」と笑っていた。
育った環境の与える影響は大したもの。ダイキンでは毎夏、地域社会への貢献の一環として工場で大盆踊り大会を開くのだが、新入社員として盆踊りの練習に参加した時のこと。炭鉱節はマスターしたものの、河内音頭と江州音頭では先生方や先輩の動きに全くついていけない。ワルツ等、西洋の動きでは必ず(と言っていいかと思いますが)体重移動があるのに、こちらは出した足でポンと地面を蹴り、それをそのまま横に移動してから体重をかけたりする。西洋音楽のリズム・テンポと日本古来の音楽のそれとは、やはり違うものなのだと身をもって痛感した。
学生の頃には、私も歌謡曲やポップスを聞いていた時期もあった。しかし、悲しい時やどうしようもなく落ち込んだ時に、本当に心を癒し、慰めてくれるのは、例えばモーツァルトのクラリネット五重奏曲やオーボエ四重奏曲等の室内楽の名曲だった。ジャズのベニー・グッドマン独奏によるモーツァルトのクラリネット協奏曲とクラリネット五重奏曲の入ったLPには、特にお世話になったのを覚えている。
一九九五年から九七年まで、交換研修生としてアメリカの3M社で働く機会を得、ミネソタ州セントポールに住いした。この九五年というのは、現在大阪フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務めておられる大植英次氏が、ミネソタ管弦楽団の音楽監督に就任された年である。善意の人達に温かく迎えてもらったとはいえ、初めての土地に一人で暮らし、働くのは何かと心細くもあった。その中でマエストロ大植がこの地で頑張っておられるというのは随分励みになった。
喘息持ちのくせに、最後まで煙草が離せない父だった。部屋に篭って隠れて煙草を吸いながら、弾けもしないのに楽譜と首っ引きで、晩年はよくベートーヴェンの後期ピアノソナタを聞いていた。命取りになると分かっていながら煙草を手離せない姿を、反抗期真最中だった私はあさましいとしか思えなかった。今となっては、喫煙が見つかった時の申し訳なさそうな、はにかんだ顔が懐かしく思い出され、思わず涙ぐんでしまうのを抑えることができない。今思えば、ばかがつくほど正直な、心優しい父だった。私には何も見えていなかった。
父の死から二十五年近くが経ち、のん気で無邪気で世間知らずだった私も、それなりに苦労も挫折も味わった。父の優しさや無念に思いを馳せることもできるようになったし、人にも多少は優しくなれたような気がする。(どこが!?と笑われるかもしれませんが・・・)
昨年末、バリトンのマティアス・ゲルネがシューベルトの三大歌曲を演奏するというので、「水車小屋」は惜しくも逃したが、「冬の旅」と「白鳥の歌」を聞きに行った。慣れ親しんだメロディーを久しぶりに耳にして、あぁ、こういう世界があったんだ・・・と忘れ物に気付かされた思いがした。
壊れたままになっているLPプレーヤーを、今年こそは直すか買い替えるかして、父の残してくれた貴重なコレクションを改めて味わい直したいと思っている。
(財) 日本室内楽振興財団機関誌 「奏」 Vol. 21 (平成十六年五月十日号) |