はじめに
1. キリスト教の倫理と日本人のあり方(イエズス会)
2. スウエーデンの幸福感と日本の虚無感のあいだ。キリスト教と仏教。
3. 仏教とキリスト教の違い。お盆に祖先の魂は家に戻るのか。
4.「道理をわきまえていること」(フロイス)――社会の健康と国民の幸福。
今年の夏はとりわけ集中豪雨が激しく、しかも、たえず雷が鳴っていました。これは、新約聖書の最後の部分、世の終わりを扱った『ヨハネの黙示録』を思い起こさせます。特に 最近は日本国内で自殺も多いしまた他殺も多いのです。これも実は相互にかかわっています。世の終わりが来たのかと思わされました。今回は、キリスト教の倫理と日本人のありかたをイエズス会の宣教師の布教のあり方、日本文化礼賛、などを軸にしてお話しします。手がかりにするのはスウェーデンの映画監督のベルイマンの『第七の封印』という映画を取り上げます。ここには、神が存在するのか、私の魂はどうなるのか、真の意味での生の幸福とは何かが扱われています。彼の考えでは、幸福は家庭の中にあることになります。神の存在を問うことの仲にはありません。もう一つの私の問いは、なぜあのように急速にカトリック教つまり当時の言葉ではキリシタンが日本のいたるところに浸透したのか、ということにあります。日本人の優れた理解力と真摯さをイエズス会の人々が高く評価したことが基本的な要因です。フランシスコ・ザビエルははっきりと「日本人はイスパニア人に勝っている」といっているのです。 |